ロシア文学そぞろ歩き(野見山義弘)

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 以下の様な本文で始まる

「ロシア文学と聞いて、トルストイとともにドフトエスキーの名前を思い浮かべる人が多いのではなかろうか。このドフトエスキー、生まれたのが1821年のことで、ちょうど200年前のことなのである。ドフトエスキーの代表作と言えば真っ先にに思い浮かぶのが「罪と罰」である。学生であったラスコリーニコフが、学費と生活費を得るために、強欲な金貸しババアを殺しても許されることだと信じ、犯行に及ぶが、偶然居合わせた善良な女性を殺してしまったことに戦慄を覚え、悩み苦しむ物語であロシア文学と聞いて、トルストイとともにドフトエスキーの名前を思い浮かべる人が多いのではなかろうか。このドフトエスキー、生まれたのが1821年のことで、ちょうど200年前のことなのである。ドフトエスキーの代表作と言えば真っ先にに思い浮かぶのが「罪と罰」である。貧しいる。ドフトエスキーの作品と言えばどの作品も重苦しい内容のものが多く、その長大さあって、取っ付きにくく思う人が多いのではないか。私もそうで、私が最初にこの本を手に取ったのはまだ高校生の時であったが、罪を犯したところまでで辟易としてしまって、挫折・・・・」

 本文は連載で続く

 別の文での始まりは

ゴーリキーとの出会いは「私の大学」そのもの

「労演・市民劇場」の観劇活動を通じて知ることになったロシア文学といえば、何と言ってもゴーリキーの『どん底』である。多くの劇団が、繰り返し演じてくれているが、やはり一番最初に観た時の劇団の舞台が一番印象に残っている。やはり夜間大学の学生であった時に原作を読んでみたが、この『どん底』の世界こそ私の人生そのものではないかという共感を覚えたものである。

ただ1988年の「ロシア文学の旅」の時の添乗員兼講師の方が指摘してくれたが、種々雑多な人々が同じ屋根の下に暮らすということはあり得ないのだそうである。帝政ロシア当時も現在も、それぞれの職業集団ごとに一つの建物に住むのであって、異職種の人と同居することは、家族でもない限り普通はないのだそうです。まあ、世の中全体を一つの部屋に集約した物語なのだと解するしかない。

その後私は『幼少時代』『人々の中で』『私の大学』というゴーリキーの「自伝三部作」をたて続けに読んだが、これらも人生の辛酸をなめさせられた私にはしっくりとくる作品群で、いろいろ考えさせられるところがあり、人生の指針のようなものも見えてきて、まさに「私の大学」であった。

語感の問題なのだろうが、「平社員」とか「派遣社員」とか「臨時職員」とか言っても、あまり「下積み」感を感じないのである。それらの人々は、まだ自らその身分を選んだというイメージがあり、「まだ浮かぶ瀬もある」という希望も持てるのに対し、「どん底」と言った時は、無理やり押し付けられた境遇で、革命でも起こさない限り脱出不能な生活様態という印象を持つ。だからロシアでは革命が起こり、日本では中途半端な変革ばかりが続くのであろうか。  

 本文は連載で続く